初期のボギー客車内部
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(日本国有鉄道工作局編集本引用)
ここには明治時代のボギー客車内部数種を掲げた。当時のボギー客車は雑形と伝われる通り、実に種々雑多の形態をなしており、今日の如き「標準形」と称するものはないので、代表的なものに留めた。現在の山陽本線の基礎を作った山陽鉄道会社では、当時神戸ー下関ー門司間の汽船と競争して「サーヴス第一」をモットーとして旅客誘致、貨物獲得に対する各種のサーヴィスを官鉄道に各社線にさきがけて実施した。147ページ上の写真は官設鉄道で使用した、一二等車の一等室で、当時既に横手式座席の車も多数出ていたが現在の観念とは逆に、各線共優等車の座席は長手式にするのが定石であった。且つ形式により多少の差異こそあれ優等車、特に一等車の内部は彫刻、打物などの装飾を施した豪華なもので、壁紙を張り、敷物を用い、座席は皮張りのものが多かった。下二番目の写真は山陽鉄道で使用した3軸ボギー 一等寝台車の車内である。この車は同社兵庫工場で明治33年(1900年)竣成し、同年4月8日から営業に供した。我が国最初の寝台車3両中の1車で、前位より手洗室及び便所次いで上下20人分の寝台を長手式に配した中央通路式寝室があり、後位は喫煙室で円卓を中心に6人分の座席を設けた。3番目の写真は官鉄が明治30年(1897年)頃新橋工場で製作した2軸ボギー二等車で、中央部両側に便所並洗面所を備え、その前後が客室である。座席は従来は上述の如く一、二等車では専ら長手式が採用されて来たが、本形式では前位の室では右側、後位の室では左側が長手式座席で、その反対側は横手式となっている。4番目の写真は同時代の官鉄3等車の内部で定員96人であった。
一等ボギー車内部
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一等寝台車内部
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二等ボギー車内部
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三等ボギー車内部
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